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Maro & Kazu 2002.11.22〜27 ブルース・シカゴ漫遊記



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               Chicago Report  by Maro&Kazu                                                                                                       Nov.22〜272002
1.シカゴ到着
 2002年11月22日成田を発って11時間の長時間後シカゴに到着,現地時間11月22日午後4時位になろうか,あたりは夕暮れが迫って来ていた。憧れの地シカゴ。ブルースの育った聖地シカゴ。また来れたと感無量!!

2.ライヴラウンジは,サウスが熱い
 初日は小手試しにノース(観客は白人)のラウンジの有名な老舗「BLUES LOUNGE」に行く。ここは何かを履き違えた,ただただ乗りだけで来ている若い白人の学生風が占拠し,あまり雰囲気はない。どっちかというと,ロックバーという雰囲気は歪めない。その次にいきなりガイド氏がサウスのラウンジで怪しそうなのを見つけたと当たりか外れか?とにかく行って見る事に決定。初めてのサウスサイド シカゴここはまったくの別世界で,黒人達だけの他を圧倒的に寄せ付けない世界が広がる。街燈も薄暗く,崩れそうなアパート群,空き地だらけの粗末な作りの住宅が並ぶ通り,そこへ忽然とライヴ・ラウンジが在る。その名は,「GUESS WHO LOUNGE」。怪しさもさることながら,見事に黒一色。プレーヤーも聴衆も皆黒人。これは当たりだ!!ステージの照明といえば裸電球2つくらいがあるだけのゲットーの空気のプンプンの雰囲気ある所だった。初日から濃い。2日目,3日目は全てサウス三昧。どれもが黒いが唯一白人の大学生風が騒いでいたのが,かつてマティ・ウォーターズが根城にしていた有名な「CHECKERBOARD LOUNGE」。10年位前までは黒かったらしいので残念。殆どブルースの何たるかの分からないお兄ちゃんお姉ちゃんのダンスホール的になってる現状は寂しいものがあった。
  しかし,その他のサウスサイドラウンジは見事に黒一色。「UNLEADED LOUNGE」「FLAMINGO COOKTAIL LOUNGE」「ARTIS‘S LOUNGE」あたりが印象深い。黒人の叔父さん,叔母さんは何処の店でも,親切で,笑顔で挨拶を返してくれる。同じ目線で接していれば,実にフレンドリーな人たちばかり。中には明日日本へ帰りますと言うと,いっそのことここへ住んじまえばと言ってくれたオッちゃんもいた。
 ほとんどが長いギターリフが延々と続くものが多いがやはり乗り,リズム感はさすがだ。大物,中物で名前の分かる人は以下のとおり。ビリー・ブランチ,ジョニー・B・ムーア,ジョニー・ジョンソン,パトリシア・スコット等だろうか。また叔母ちゃんシンガーの腰を回して卑猥な動作でフーチークーチーマンやロックミーベイビーを歌う姿はとてもセクシーでこれこそがブルースなんだと実感させてくれる。またその歌手の前に立ってオッちゃんがビール瓶を股に鋏んで呼応して踊る。これこそ本物のブルースなのだ。やはりブルースは猥雑でないといけませんねー。また,おばちゃんの聴衆に手を引かれて前に連れ出され一緒に踊ったりした時は,お前はナイスガイとキッスの嵐でじつに愛情表現が豊富。そして皆お洒落をしてラウンジに楽しみにやって来る。男も女の一張羅を張り込んで着飾って集まり,一種のファッションショーの様でもある。
白人相手の店は一律に10ドル程度のチャージが要るが,サウスの黒人向けのそれはチャージなんかは無しで,ただドリンク代だけでOK。因みにビール,1本,コーク13ドル位。少しの金でのコミュニケーションをとる場,これこそが昔ながらのジュークジョイントの在り方なんだと改めて感じた。

3.
食事

 食事はほとんどが,高カロリーでその上量が多い,更に飲み物もコークかビールだから肥満の人が日本と較べ圧倒的に多い。ステーキハウスでも,結構老人が雑巾のような大きさの肉を食べているのには驚かされる。アメリカ人は軽く日本人の倍は軽く食う。我々はスモールサイズを注文してでもどうしても余ってしまうのだ。空腹だといっても決して大盛りなどを注文しないように。悲惨な結果が待っている。
 我々の行った食事場所はざっと以下の通り。ポリッシュソーセイジの店,ギリシャ料理レストラン,リブステーキのレストラン,ステーキハウス,サウスのレストラン,マクドナルド,中華街でチャーハンをテイクアウト等でしょうか。

4.
マックスエル・ストリート

 ここはシカゴ・ブルース誕生の地。1940年代後半,このストリートマーケットでマディ,ウルフ,リロイ・フォスター,リトル・ウオルター,サニーランド・スリム,ジョニー・ヤング,ロバート・ナイトホーク等が幅を利かせて演奏していた。ブルースマニアにとっては,偉大なる聖地なのだ。
 しかし,1990年に行った時は,まだかろうじて残してあったが,今回はもうすでに撤去され跡形もない。あの戸板を並べた様な,怪しげなインチキな物(ほとんどが盗品か質流れのガラクタ等)を売っていたあの路上マーケットはほかの地区に移転し,もう無い。ここで有名なポリッシュソウセージのソウルフードの店も移転してしまっている。近代化,都市整備の波に押されしょうがないのだろうが,どうも寂しい気分がしてならない。

5.
ミュージシャンの墓参り

 墓地の名前は覚えてないが,数人のミュージシャンが眠る墓標を発見できた。
ハウリン・ウルフ,マディ・ウオーターズ,ハウンド・ドッグ・テイラー,マジック・サム,バレリー・ウエリントンを見つける事が出来た。これらの偉大なミュージシャン達に,敬意と感謝の意を心より贈りたい。AMEN!!

6.
デルタ・トゥー・シカゴ

 デルタ(ミシシッピ州を中心に,アラバマ,テネシー,キャロライナ,テキサス,ルイジアナ)から
Promised Land シカゴに夢を持った黒人達が大勢集まった。元々鉄鋼業の盛んなシカゴに第1次,第2次世界大戦の軍需景気でより多くの労働力を必要とした。デルタで低賃金で農業に従事していた黒人達は,収入も格段に良いし,南部での様な厳しい差別からも解放されると信じ多くの黒人達が夢を抱き,次々とシカゴへと北上して行った。
 しかし,夢は打ち砕かれ,
1地区のゲットーに押し込められ,厳しい差別で全てを抑制され,重労働に耐えなければならない現状が待ち構えていた。北上した多くの黒人達の中に当然多くのミュージシャンも含まれていた。特にミシシッピ・デルタから持ち込んだ音楽をそのままその当時流行しだしたエレキギターに置き換え,ギターアンプを通してマイクロフォンで増幅しハープを吹くといったスタイルが定着していった。デルタ特有の泥臭さと重いサウンドの特徴を保有しつつバンド形式をとった。これがシカゴ・ブルースなのだ。これが同郷の黒人達の共感を呼び大ヒットとなりその火付け役がマディ・ウオーターズでありサニーランド・スリム,ウイリー・ディクソンであった。それを商売として成り立つと見込んで,多くの素晴らしい録音群をレコード盤に残してくれたのが有名なチェスレコードだ。その後,多くのレイス・レコード・メーカーが台頭して来て,今日までシカゴ・ブルースの伝統は保たれている。

7.
まとめ

 やはり,ブルースを理解しようと思えば,シカゴの現地(サウス・サイド)に行ってそこの空気を吸うことが1番だと良くわかった。以前,訪れた時はノースとウエストのラウンジしか行っていなかったので,あまりにものサウス,ノースの違いに驚いた。脈々と歌い継がれるブルース。サウス・サイドのラウンジには,まだ昔からの黒い息吹が生きている現実をこの目で実際観ることが出来たことが何よりも幸せと感じさせてくれるツアーだった。

8.
Special Thanks

 快く旅行にいかせてくれた家族。いつも細かい配慮でお世話頂いたJODトラベルの高梨氏,的確なアドバイスと案内と運転をして頂いた藤川氏,あと旅行で知り合ったメンバーの方々。次のツアーを楽しみに!!!!!


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